そばカナダ社のロゴSoba Canada

カナダのソバ事情

                    (1)日本のソバ消費量と輸入
               (2)カナダのソバ品種と栽培
                         (3)Tedのマニトバ便り 
         (4)北米事情と世界のソバ栽培  (中国)(アメリカ)

                 
(5)カナダの街で

日本が、天然資源の殆んどを外国に頼っている事は、皆様良くご存知の通りです。日本とカナダ間の貿易の伝統的構成は、カナダが主に農林水産・鉱物等の一次産品を輸出し、日本は生産/消費財を輸出するというものでした。最近では機械や部品等工業製品がカナダ輸出の過半を占めるようになりましたが、小麦や大豆等の一次産品も、品種改良、有機農法等により新しいマーケットの要求に応え、引き続き日加貿易での重要な位置を占めています。勿論ソバも例外では有りません。

(1)日本のソバ消費量と輸入カナダの国旗
先ず、その供給Originを見てみましょう。
1996年から2005年までの10年間の平均で見た日本の玄ソバの年間供給量は、次の表のように合計119,500トンです。内、日本国内産は25,170K/Tと僅か21.1%のみで(と言っても大豆の自給率3%よりは、はるかにマシですが・・・)後は全て輸入に頼っているのです。中国が80,277K/Tで全供給量の67.2%を占め、米国、次にカナダと続き、この三国で輸入玄ソバのほぼ全量をを賄っているのです。
最近の供給量が落ち込んでいる様に見えますが、21世紀に入ってから玄ソバに加え外皮を剥いた「丸抜き」でも買うようになり、特に2007年以降年平均約5万トンの購入と着実に伸びており、総消費量約14万トンの36%を占め前世紀末より年間約2万トンのそば消費量の増加となっています。丸抜きは、玄ソバの外皮を剥く作業をする訳ですから当然そのコストが掛り、且つ付加価値の上がった分だけ値段は高くなる筈ですが、何と玄ソバ価格の八掛けの値段で取引されている事も、丸抜き輸入に弾みが付いている理由の一つです。勿論輸入先は殆どが中国で、一部オーストラリアのものもある様です。不思議な話ですが一説には中国ではソバ殻枕の原料としての需要があるので(日本では産業廃棄物となるのみですが…)そんな安値で良いのだとの話もありますが、外皮を剥かれたソバは玄ソバに較べれば、外界の環境に影響され易くなり、劣化のスピードが速いだろうから、品質維持の為の対策が必要となるでしょうが、玄ソバよりも安いので、玄ソバ以上の管理は出来ないという訳です。消費量の増加は喜ばしい事ですが、製品の質の低下にならぬ様期待したいものです。
        

日本で消費する玄ソバの国別年間供給量
 年 日本国産 カナダ アメリカ 中国 豪州 その他 供給合計  丸抜き
(玄ソバ換算)
玄ソバ換算総供給量 
1996 24,000
21.2%
4,609
4.1%
12,974
11.5%
79,400
62.3%
919
0.8%
169
0.1%
113,071
100%
   
1997 21,877
17.3%
9,635
7.6%
7,187
5.7%
86,916
68.7%
908
0.7%
1
0.0%
126,524
100%
   
1998 17,900
15.3%
7,714
6.6%
8,466
7.2%
82,098
70.0%
985
0.8%
96
0.1%
117,259
100%
   
1999 24,023
18.9%
5,445
4.3%
8,193
6.4%
87,813
69.0%
1,561
1.2%
332
0.3%
127,313
100%
   
2000 29,200
23.1%
5,969
4.7%
7,922
6.3%
81,848
64.8%
834
0.7%
477
0.4%
125,250
100%
   
5年平均 23,400
19.2%
6,674
5.5%
8,938
7.3%
81,815
67.0%
1,041
0.9%
215
0.2%
122,083
100.0%
   
5年平均輸入構成比 6.8% 9.1% 82.9% 1.1% 0.2% 輸入100%    
2001 25,400
21.5%
4,148
3.5%
4,675
4.0%
82,460
69.8%
856
0.7%
583
0.5%
118,122
100%
   
2002 29,000
24.7%
3,600
3.1%
5,600
4.8%
80,000
68.1%
1,100
0.9%
250
0.2%
117,550K/T
100%
   
2003 28,100
23.4% 
3,035
2.5% 
7,048 
5.9%
80,800
67.3% 
677
0.6% 
400
0.3% 
120,060
100% 
   
2004  20,400
18.6% 
1,969
1.8% 
7,578
6.9% 
78,730
71.6% 
831
0.8% 
437
0.4%
109,945
100% 
   
2005  31,800
27.2% 
1,417
1.2% 
10,432
8.9% 
71,703
61.4% 
1,136
1.0% 
231
0.2% 
116,719
100% 
   
5年平均 26,940
23.0% 
2,834
2.4% 
7,103
6.1% 
78,739
67.3% 
920
0.8% 
380
0.3% 
116,916
100% 
   
5年平均輸入構成比   - 3.1%  7.9%  87.5%  1.0%  0.4%  輸入100%    
2006 33,000
29.6% 
1,474
1.3% 
11,196
10.1%
63,363
56.9% 
732
0.7% 
1,567
1.4% 
111,332
100% 
   
2007  26,300
27.0% 
2,580
2.7% 
11,976
12.3% 
55,974
57.6% 
278
0.3% 
126
1.3% 
97,234
100% 
29,563
(45,481) 
142,715
 
2008  23,200
26.9% 
2,186
2.5% 
14,013
16.3% 
46,369
53.8% 
137
0.2% 
237
0.3% 
86,142
100% 
29,129
(44,813) 
130,955
 
2009  15,300 
20.4%
337
0.4% 
15,219
20.3% 
43,654
58.2% 
223
0.3% 
216
0.3% 
74,949
100% 
31,234
(48,052) 
123,001
 
2010  29,700
29.7% 
193
0.2% 
16,870
16.9% 
51,788
51.8% 
799
0.8% 
615
0.6% 
99,965
100% 
29,416
(45,255) 
145,220
 
5年平均 25,500
27.1%
1,354
1.4%
13,855
14.8%
52,230
55.6%
434
0.5%
552
0.6%
93,924
100%
   
5年平均輸入構成比   -  2.0% 20.2%  76.3%  0.6%  0.8%  輸入100%     
2011 32,000
36.1% 
725
0.8% 
18,381
0.21% 
35,644
0.40% 
882
1.0% 
893
1.0% 
88,525
100% 
31,747
(48,841) 
137,366
 
2012  44,000
44.9% 
978
1.0% 
16,792
17.1% 
35,238
35.9% 
137
0.1% 
932
1.0% 
98,077
100% 
38,750
(59,615) 
157,692
 
2013  33,100
44.5% 
35
0.0% 
14,426
19.4% 
26,047
35.0% 
48
0.1% 
778
1.0% 
74,434
100% 
36,256
(55,778) 
130,212
 
  日本  カナダ  米国  中国 豪州   その他 供給合計 丸抜き  玄ソバ換算総量

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(2)カナダの品種・・・マンカン種等
玄ソバとは、黒い外皮の付いたままの状態のソバの実の事で、カナダでは、巨大なコンバインで刈り取り後農場内のサイロに保管され、必要に応じ通風等により水分率を15−16%に調整します。出荷前に葉や茎とか石・土を取り除くクリーニング作業を行い、No.1 Canadaグレードに調整し出荷されます。輸入玄ソバは、北米からは従来はマンカン種が主流でした。マンカンマンカン(MANCAN)種というのは、1974年にカナダ農業省のマニトバ研究所で開発された品種で、Manitoba州のMAN、CanadaのCANの頭文字を取って命名されたもので、実がふっくリと大きく収穫効率の良い美味しいソバなのです。このマンカンが米国はもとより中国にも持ち込まれ、それらの国の輸出玄ソバのかなりの部分を占めるようになりました。マンカン種の元祖たるカナダの輸出は、上記の表からもお分かりの通り酷い体たらくですが、カナダで開発されたソバ品種がアメリカや中国から大量に輸出されており、日本では中国産マンカンを中国マンカンと呼んで本家カナダのそれと分けています。この様に日本の消費の1/3以上がカナダの息の掛かったソバで、日本人は知らないうちにかなりの量のカナダの蕎麦を食べていたのです。

「尤も最近は、Mancan種に引き続き、更に収量が良く、製麺適正も良いKobanやKoto等の新種が開発され、生産・輸出もこれら新種、特にKotoにウエイトが移行し、マンカン種は既に過去のソバ品種となりつつあります。
カナダはソバの品種改良研究では世界のトップレベルにあると言われています。日本の品種改良は、ある種の良い素質だけを残して固定すると言う選抜育成が主流ですが、カナダでは異なる種を掛け合わせたりする事で、全く新しい種を作るというかなり積極的な方法が採られています。その立役者がソバ研究の世界的権威クレイトン キャンベル博士マニトバのソバ畑マニトバ州モーデンのクレイトン・キャンベル博士Dr.Clayton Campbellで、Mancan種はもとよりKoto等優秀な多品種のソバの生みの親として世界中に知られていますが、更に今後のソバ栽培を大きく変える、世界初の自花受粉品種Komaの開発に成功し2005年から商業栽培が始まりました。その研究のペースは驚くほど早く、最近の品種は最新のKomaでさえ、Life Span、詰まり商品寿命を2年から3年とし、その間に次の新品種を世に送り出すと言う極めて精力的なデザインとなっているのです。開発の眼目は、生産者たる農家に魅力ある作物とする事、詰まり栽培効率・生産性の向上のみならず、エンドユーザーにとっても美味しく、安全で、使い易い性状とする事なのです。従って、葉っぱが地表を被い雑草の成長を妨げるようなより栽培し易いソバ、更に味覚や収量の改善を施した新種のソバの研究が進んでおり、今後一番期待されるのが耐霜性の強い北国カナダ向けの品種の開発なのですが、楽しみな事です。」と書いたのが2005年の事でしたが、その数年後にはそんな研究の立役者だったKade Research Ltd.が解散しキャンベル氏も蕎麦研究から退いてしまい、折角の研究を引き継ぐ人も無いのが現状(2014年)で、何とも残念な事です。

マニトバ州はカナダの「ソバの故郷」と言われ、全カナダの約7割のソバを生産していますが、オンタリオ州やケベック州が夫々10%強を栽培し、その他サスカチュワン州、アルバータ州が少々となっていますが、マニトバの現状に較べると、熱意も工夫も今一の感を拭えません。まあ、人の世の中、マニトバだから皆が良い訳では無いように、他州でも必ず良い人は居るに違いありませんが・・・。
2014年5月末から6月初旬の播種時、Don曰く「百姓を始めてから初めてだよ、こんな酷いお天気は」と言う程の大雨が続き、殆どの畑で種蒔きが出来ませんでした。敢えて蒔いても水の下で溺れ死んでしまいひたすら天候回復を待ったのですが、6月の中旬になっても蒔ける状態ではなく、待ちきれなくなった6月末から7月初旬に状態の良い畑を無理に選んで少しだけ蒔いたのですが、何せ一月余りも遅れてしまったので、後出来ることはひたすら暑い夏が長く続いて欲しいと神に祈るだけ。マニトバはアシニボイン川の流域が洪水となり、主に州南部が被害を受けましたが、ドンのパークランド地方はこれより北に位置する為、洪水被害には遭いませんでしたが、2010年の悪天候に引き続き又も異常気象に見舞われてしまったのです。又サスカチュワン州も広範囲に水害被害に遭い、平原両州に連邦政府の災害特別支援が発動されるほどでした。ソバは勿論小麦、カノーラ等殆どの作物の種すら蒔けなかったとは大変な事です。近年はソバに関しては業界崩壊、市況低迷等悲報相次ぐ北米・カナダに上記の様な悪天候…せめてお天気だけでも直ぐ回復して欲しいものですが、環境破壊による気候変動が世界中で定着し問題化している現在、経験等による予見の出来た昔のお天気を期待する事自体が無理なこととなりつつあることを実感させられています。
カナダのソバの故郷マニトバでの品種別収穫状況は、次の通りでした。今はKoma, KotoにMancanの三種のみが栽培されておりますが、同じ様式にての発表はありません。
2001年
Koto 40.2%、 Mancan 29.6%、 Manisoba 13.4%、 Manor 5.9%、 Koban 2.3%、 Springfield 1.3%、その他 7.3%
2002年
Koto 46.4%、 Mancan 24.3%、 Koban 10.6%、 Manisoba 8.6%、 Manor 3.7%、その他 6.4%
上記品種の他にも、Tokyoと言うカナダでは一番古く開発された、小粒でもシッカリとした味の品種等がありますが、今では作る人も稀になって来ています。私は、マニソバとスプリングフィールドなんかが、明るい陽性な香りも味も好みではありますが、Kotoは質の高い澱粉質の比率が高く、軽く懐かしい味わいが有り、Kobanは香りの高さに特徴があり、Komaはその抜群の製麺適正を誇りますが、そのデンプン組成の故に料理時には少し注意が必要になる等、品種毎の味わいがあり、その時の気分で品種を替えたり、又は夫々の品種の良い特徴を取り混ぜた独自のブレンドで楽しんでいます。
これらソバのうちの約2/3が輸出で、大半が日本に輸出されますが、オランダやオーストリア等にも輸出されています。カナダでは、ソバを含む穀物の高品質を保証する為、外皮の剥けたものや、未成熟の玄蕎麦の含有率をチェックする事は勿論、石や他の穀物及び各種病原菌の有無を厳しく検査する基準(Canadian Standard)が、Canadian Grain Actと言う法律で定められており、日本への輸出は殆どが、No.1 CanadaというGradeですから、しっかりした実で雑物の混じらない、クリーンで高品質なソバの安定供給が制度化されているのです。
2001年の12月には、北米ソバ推進委員会が、ソバの研究者や農業団体、業界関係の官民関係者を糾合し設立されました。これは、3年に一度ずつソバの生産国で行われる国際ソバシンポジウムと言う、主にソバの研究者の成果発表、意見交換の場なのですが、これに参加していたマニトバの関係者が主体になり、こんなに素晴らしいソバの健康面への貢献の可能性を、もっと北米の一般の人に知って貰いたいと言う事で発足したのです。小麦や大豆のような経済的にインパクトのある穀物ではありませんから、活動を経済的に支えるスポンサーに成ってくれる大企業が無い事で、予算面の苦しさが有りますが、取り敢えずは、アメリカやカナダの栄養士協会などのプロフェッショナルとの連携を深めつつ、一般大衆を教育してソバの推進に努めているとの由ですので、ユックリでも着実に成果を上げて行って貰いたいものです。
[と以前に書いたものの、同委員会は現在(2014年)冬眠状態、または分解状態となっており何の活動もしておりません。事務局(州農務省)の話では、結局ソバそのものの味が北米人の嗜好に合わないという事が判ったというのが、その10年強に亘る活動(と言っても外に報告出来る活動は栄養士協会と会合を持った程度で後はこれと言ったものも無く、結局殆ど無活動だったと了解しています)での結論だったとは、何と情けない結論だろう!!怒る気にもなれず、只々ア・キ・レ・タ。洋の東西を問わずこれがお上が主導する仕事と言うものなので、まともに付き合う、期待する方がイ・ケ・ナ・イと言われるのがち。]
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(3) Tedのマニトバ便り
(人間万事塞翁が馬…新しい友人を得たこと)
カナダのソバ業界に激震が起きたのが2007年夏の事でした。マニトバを中心にソバの栽培、集荷を行って来たカナダ最大手穀物商社Agricore Unitedが、Saskachewan Wheat Poolと言う農協に買収され、Viterra(バイテーラ)として新規発足したのですが、新経営陣はソバなどと言うSmall Businessに経営資源を出す事は出来ないとして、ソバ事業からあっさり撤退してしまったのです。その結果が、今回のなりふり構わぬ在庫処理となったのです。そんなドライな商法が、今度は自分自身をスイスのメガアグリビジネスGlencoreに身売して市場から消え失せてしまったのが2012年の事でした。商売の内容などはどうでも良く、お金になりさえすればそれで善とする姿勢丸出しでしたから、そんな会社が無くなったのはある意味幸いな事でした。 
しかし小生(Ted)はそんな撤退の話は全く知りませんでしたので、それまで主に購入して来たAgricore Unitedの旧担当者からViterraの担当者を紹介して貰い、2007年産の新ソバの購入契約をしてから、11月も末の頃トラックを借りて雪道をマニトバに引き取りに出かけましたが、その途中、Viterraはソバから撤退するので新蕎麦を持っていない筈だとの情報を得てビックリしましたが、兎も角マニトバまで急ぎ、色々の方面から情報を集めた処、情報はまさに正しく、在庫として残っていた古いヒネソバを新ソバとして売付けようとしていたのです。まさかカナダ最大の穀物会社として新たに発足したばかりの、しかも「大地の力」と大上段に振りかぶった名前の会社が、「詐欺」と言う犯罪行為を働くなどとは、夢にも思っていなかった事でしたが、それでも未だ僅かの期待を持ってSenior Marchantという肩書きを持つ”DM”と言う契約担当者に事の真偽を糺すべく面会しましたが、もう箸にも棒にもかからぬ御仁。「新ソバが欲しいだなんて知らなかった」と契約にはハッキリNew Crop of 2007 Buckwheatと書いてあるにも拘らずノタマウ。「ソバの契約は初めてなものだから・・・」と口籠る。この瞬間にもうこんな奴と話をするのは時間の無駄と悟りましたが、3日も掛けて借りたトラックを運転して来て、さあ引き取りで、あれは新ソバではありません等と云われても通る訳が無いだろ!お前のした事は、単なる商売に未熟故の過ちではなくレッキとした犯罪行為だ、今警察呼べばお前は鉄格子の中に入るんだぞっ! と言い捨て兎も角、即引渡しの出来る新ソバを持っている人を探しに飛び出したのです。色々な人に話をして今すぐに引き渡せるNo.1 Canadaグレードを探しまくった結果、今はスッカリの親友となったDon Fyk(ドン フィック)に巡り会ったのです。

Donは、マニトバの州都Winnipegの北西約450kmにあるGarlandと云う、当時人口21人の小さな村で、弟のBenと共に祖父の代から一世紀以上に亘って農業をしているウクライナからの移民の4世です。早速会って話してみると、今クリーニングの機械を修理中で予定では1週間くらい掛かるかも知れないが、大至急で修理する様に頑張るから、その間農場や周囲の村や山等を見ながら待ってたらどうですかとの事。誠実な対応に安心し、それではと昔は一家族が住んでいただろう家を借りて待つことにしました。地平線が丸く見える畑の中の一軒家、周囲に人の気も明かりも全く無い真っ暗闇。凍てついた空にはプラネタリウムでも見られない程無数の星が瞬き、美しい事この上ないのですが、呼べど叫べど人の居ない野中の一軒家、されど色々な音、しかも歩く音まで聞こえて来るので、都会生まれ都会育ちの小生は、リビングルームの後ろにある一番小さな寝室に、何時でも逃げられる様に昼の衣服を着たまま、まんじりともせずベッドで音を聞きながら長〜い夜を過ごしたものでした。歩く音は、林のざわめきであったかも知れませんが、Duck Mountain Provincial Parkの隣にある為、熊、狼、鹿、ムースを始め狐やコヨーテ等の野生動物が多数生息しており、そんな動物の足音でもあったようですが、いずれにしても生息未確認の山男サスカッチが出なくて良かった。結局Donの努力が実り3日間の滞在で無事必要数量の新ソバを入手する事が出来たのです。
騙しを騙しとも思っていない”DM”には、一時本当に腹が立ちましたが、馬鹿を相手にこれ以上時間を費やす愚を冒さぬ事とし、せめて穀物委員会に事件を報告し公式記録として残そうとも思っておりましたが、それすら忙しさに紛れて其の侭にしてしまいましたが、唯この馬鹿者のお陰で新しい友を見つける事が出来たのですから、ある意味では感謝の念すら感じて、人間万事塞翁が馬と思い納得しています。

以前は毎年11月から12月にマニトバを訪れ、Winnipegをはじめ、そこから大体1時間圏内から仕入れをしておりましたので、往復の運転距離は5千キロでしたが、2007年以降は、まっしぐらにこのGarlandを訪れることになった為、往復距離は6千キロとなってしまいました。Winnipegは、キリキリと寒さが差し込んで来る様な寒い場所なので、カナダではWinter Peg(冬の釘)と呼ばれていますが、ソバ栽培の北限の地と云われているGarlandへの雪道の往復は、慣れたとはいえ緊張させられますが、それにも増して、土地の人との心温まる交流を始め、道中で釣りをしたり、スキーをしたりしながらの旅は、毎年の楽しみとなっています。それでは、そんな旅で体験した事、知った事などを、少し書いてみることに致たしましょう。

(Parkland地方)
南をRiding Mountain National Parkに、西をDuck Mountain Provincial Parkに守られ、東には世界的にも相当大きいウイニペゴシス湖、マニトバ湖やウイニペッグ湖がある広大なエリアをパークランド地方と云い、GarlandやEthelbert(エセルバート)は、大体その真ん中辺に位置します。パークランドの名前の由来は、別に公園が多いから付いた訳ではなく、プレーリーの大草原が、深い北国の針葉樹の森林に取って変わる場所を地理学ではそう呼ぶのだそうですが、広大な地域が国と州の指定公園となっている為、深い森とその住人たる野生動物達の楽園となっています。
緯度的には、当地方はソバを始め各種農作物栽培の北限の地となる訳ですが、西と南に夫々山脈が走り、冬の偏西風を受け止める盾の役割を果たし、雪はこれ等の山の西斜面に落ち、又その空っ風Chinook(シヌーク)はフェーン現象を起こし、Indian Summerと呼ばれる暖かいお天気をもたらす事になり、緯度の割りに温暖な気候と肥沃な大地は、農業の適地となっています。
因みに、Duck Mountainの最高峰Baldy Mountain(ボールディー山…名前と違って別に禿山ではありません)は標高818mしかありませんが、ロッキー山脈より東のカナダでの最高峰でもあります。東カナダが途轍もなくだだっ広い大平原である事がお分かりになると思います。

人口は、2010年でガーランド村19人、エセルバート村350人であり、南の入り口であるこの地方最大のDauphin市(ドーフィン)が10,500人、 北の入り口Swan River町(スワンリバー)が3,800人であり、カナダ最大のウクライナ・コミュニティーが形成され、ウクライナ語も日常的に使われており、トロントやバンクーバーから想像するだろうカナダ人像より、遥かに落ち着いてシットリした人々の態度に、何か日本人と共通するものを感じ安心出来るのです。 日本でも若者は農業を嫌って都会に出て行き、田舎の過疎化が問題となっておりますが、当地域も同様でGarland/Ethelbertも、昔は畑の角毎に一家族が住んでいたそうですが、今ではあちらに一軒、こちらに一軒と散在するのみで、廃屋となった家や納屋が朽ちるに任されている寂しい光景が見られます。地元は過疎化対策に色々知恵を絞って取り組んでおり、その中のひとつに、毎年夏には旧住人を招待してHome Coming Daysが開かれて、今年も期間中何と1万人を超す人々が集まったとの事で、日本からのソバ栽培等に興味のある方の投資や移住は大歓迎だそうです。
ガーランド村はその中でも飛び切り小さい村で、オバサン一人で守る郵便局が一軒、オジサン一人の小さな万屋(よろずや)があるだけですが、教会は2軒もあるのです。昔の栄華は今いずこと言う処ですが、そんな処にDonがデハビランド・カナダ社(日本でもお馴染みのボンバルディエ社に1992年に買収されてしまいましたが、DHC-8 は双発の地域サービス機として名前が変えられて新会社でも継続生産され、日本国産のYS-11 機の代替機として日本でも活躍していました。)の旅客機DHC-7(1970年代に開発された優秀機でしたが、四発プロペラ機で運航費がやや高かった為、80年代にDHC-8 に縮小変更された。)を持って来てパーティー用に使って楽しんでいたそうですが、警察もいない寒村にも都会からの好もしからざる人たちの訪問があり、部品を盗む、壊すの乱暴狼藉でスッカリ荒れ果ててしまいました。家を留守にする時でも鍵を掛けた事もないし、車も庭に鍵を付けっぱなしで止めておく様な平和な田舎の村の生活スタイルは、都会の与太者には絶好の仕事場として注目されているのか、最近は色々な事件が起こっており、ATVバギーやらライフル銃やらが頻繁に盗まれているとの事。田舎暮らしでも戸締り用心程度は必要になって来たという残念な話です。
(Donと Ben兄弟)ベニーDonFyk家の長男のドンと次男のベンが当地方で一番のソバ生産者です。ウクライナから百年以上も前に移民してきた家族で、小麦、カノーラや豆などを栽培しています。元々ロシアやウクライナ、ポーランド等は世界のソバの4割から5割を作っているお国柄ですから、当然世界でも有数の「蕎麦食い」で、彼等は蕎麦で育ったと云って良い程蕎麦には思い入れが強く、市況に応じて作付けをする通常の商業栽培者とは一線を画していると言えるでしょう。2007年にAgricore Unitedが買収され消滅した時、殆どの農家がソバ栽培を中断せざるを得なくなりましたが、2008年もフィック兄弟は何時もの通り作り続けていたので、全マニトバの生産量の約3割が兄弟のソバだったのです。従来のブローカー経由での輸出では、折角丹精込めても、結局他のソバと一緒にサイロに入れられ名無しのゴンベイとされて、品質もトレーサビリティも無関係と言うような商売では、将来に明るい展望が持てませんので、丁度マニトバのソバ輸出のシステムが壊れた事をチャンスと思い、納得の行く良いソバを、キチンと生産者の顔が見えるようにして、日本に直接輸出してみようと決意した訳です。その決意が実って最初の輸出が出来たのが2009年の初冬の事でした。
これをきっかけに、兄弟のソバ作りへの思いを、同じ蕎麦食い人たる日本の人々に知って貰う為、初めて日本を訪問する事になり、翌2010年春私がその案内をして、蕎麦協会の蕎麦サミット出席を始めてとし、多数の業界関係者の方々と知り合う事が出来、極めて有意義な初訪問となり、ドンが帰国するや否や、農業大臣から話を聞かせて欲しいとの要請を始め、近隣の蕎麦栽培者等からも、引っ切り無しに電話や訪問が相次ぎ、自分も引き続き蕎麦栽培がしたいので契約栽培させて欲しいとの要望あり、個別対応が出来なくなり、何と50人を超える農家を集めた説明会まで開催するに至って、マニトバ関係者の期待の大きさに、私も改めて心引き締まる思いを致しました。

2010年のカナダ中西部は、気象観測史上最悪の年となり、春の種蒔き時の大長雨で、ソバのみならず、主力の小麦等、殆ど全作物に大きな被害が出てしまいました。通常この地方では、5月の最終週から6月の第一週に種蒔きをします。今年は雨の合間を縫って何とか種蒔きが出来たのが6月も20日に近くなってからでしたが、その後7月になって再び大雨となり畑も道路も冠水し、湖の様になってしまい、折角蒔いた種の大部分が溺れ死んで(Drowned)しまい、7月も中旬になってから再度種を蒔くには、秋の早霜に打たれる可能性が高くなり、折角の残り少ない種を無駄に殺す事になると、多くの農家はソバの栽培を断念してしまいましたが、ドン兄弟は契約数量を何とか確保すべく、残り少ない貴重な手持ちを蒔いたのです。大自然を相手にする農業は、難しいものだと肌身に沁みました。

ドンとアルバート。仕事の合間にウオッカで休憩。ベニーと、彼の特大ウオッカ農場には、サイロをはじめ大型農機具が揃っていますが、その様な農機具の整備、修理も彼等の重要な仕事の一つとなっており、天井に20d走行クレーンの走る大きなメンテナンスショップは、自分達の機器の整備補修のみならず、政府認定の重車両整備工場として、地域の農家の機具の整備もしており、特に冬場は、床暖房まで入って暖かいせいもあり、仕事を終えた人達が集まって来て、常備のウオッカを飲んだり、お金を入れなくても出てくる自動販売機からビールを飲んだりして、地域社会の社交場となっています。「乾杯!」は「ナズダロービア!」、勿論ウクライナ語です。或いは「ダイボージェ」(共に、貴方の健康の為に!と言う意味で、ここでは先ず最初に接する重要な言葉ですが、敢えて覚えようとしなくても、その使用頻度が極めて高い為、自然と覚えてしまいます。

そんな飲み会で、折角ここに来たのだから次回来た時には、是非蕎麦打ち実演と試食会を開いて欲しいと云う話になりました。ウイニペッグでは、過去に数回蕎麦打ちの会を、栽培農家、穀物商社、政府関係者や研究者等ソバ関係者を呼んで披露した事がありましたが、パークランド地方ではそんな催しは一回もありませんでしたから、早速翌年に第一回目、今年2010年に第二回目を開催しました。ドーフィン市のラジオ局で前宣伝をしたのが効いたのか、エセルバートの村民ホールには、結構4/50人くらいの人が集まったので、聊かビックリしたものでした。 蕎麦を打ちはじめ未だ水廻しの途中で、「May I?」と云いながら沢山の手が木鉢に伸びてきて、蕎麦の塊を摘み、味見をして「ドブレ」(Good)と言うではありませんか。さすが蕎麦で育ったウクライナの人は、蕎麦が本当に好きなんだなぁと、同じ蕎麦食いとして、スッカリ楽しく嬉しくなってしまいました。勿論試食の蕎麦は瞬く間に無くなってしまった事は、云うまでもありません。
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(4)北米のソバ事情と世界のソバ生産 (中国)(アメリカ)
我々が食べているソバの普通種のラテン語学名は、Fagopyrum Esculentumと言い、中国の雲南辺りが原産と言われており、中世になってからヨーロッパに伝えられたものが、17世紀初頭になって、ピルグリムファーザースを乗せたメイフラワー号等(注−1)の入植者によって北米新大陸に持ち込まれたものです。英語でソバの事をバックウィート(Buckwheat)と言いますが、これは、アングロサクソン語の表現であるBoc and Whoet(英語表現でBeech and Wheatと言い、その姿がBeechnut(ブナの実)に似ており、しかも使用法がWheat(小麦)と同じでパン作り等に使われた為)を、スコットランド人がBuckwheatという簡略語に作り直したものが現在の英語に定着したものだそうですが、麦でもないのに蕎麦と名付けた中国や日本の御本家と、洋の東西を問わず人間の思いつく事は何処も一緒ですね。
一世を風靡したカナダの誇るBlue Nose号
注−1)1620年12月102人のPuritansを乗せたMay Flowerは、MasachusettesのPlymouthに到着したが、春までに約半数が死亡した。インディアンに助けられ、コーンの栽培等を教わり、何んとか定着する事が出来た。これに先立つ1607年5月にもJohn Smithの指揮の下、104人の王党派が3隻の船でVirginiaのJamestownに入植した。こちらは、良い季節に到着し、又ポウハタン族に助けられ恵まれたスタートを切ったそうですが、その他新大陸に夢を求めて来た移民がソバの種を持参したものです

普通種のソバは、タデ科ソバ属の一年生の植物で、播種から収穫までの期間が75日程ととても短く、土壌を選ばず強酸性でもアルカリでも又、乾燥地にも育ち、寒さにも強く、病虫害に遭うことも少なく、栽培にはあまり手間隙の掛からない強い植物です。ソバの花昔は、「そばの自慢はお国が知れる」と言われたほど、他の作物が実らない貧しい山間寒冷地でも育つのです。只、発芽の後の霜に弱いのと、強い風で倒伏し易い事が要注意なのです。又稲等と違って自花受粉出来ず、虫媒により受精するので、雨が降ると虫が来ないし、風が吹いても虫が来ない。気温が低くても虫が来ない悪天候に見舞われると困った事になり、花は咲けども、稔った実になるのは、咲いた花の一割にも満たないと言われています。だから、葉が全部出終わってから一斉に花が付き天辺に実が付く、「稔るほど頭を垂れる稲穂」と違って、ソバの場合は葉も花も同時進行し、花が咲き、実がなる「無限伸育性・花序」があり、早い実がもう出来たのに、後から咲いたものは未だ蕾で、これが実に育った頃は先の実は、黒い実になって落ちてしまうという、栽培上、大変不都合な事が起こるのです。刈り取りは「ハエ(実)が3匹止まったら(着いたら)刈れ」と言われて来ました。でもこれは、厳しい自然環境の中でも、種の保存をはかり遺伝子の多様性を確保し生き残って行こうとするソバという野生植物の知恵と逞しさなのです。

カナダはアメリカと同様、移民の国と言はれています。アメリカの場合は、人種のルツボ(Melting Pot of the Races)と言はれ、各民族が融合しあい新しい民族が出来上がっているのですが、カナダの場合はモザイク国家と呼ばれ、世界中から集まった民族が、夫々のIdentity(独自の文化、生活習慣等)を失なう事無く維持してモザイクの様に綾なしながら、ひとつの国を形成しているのです。トロントに居ると中国/韓国街は勿論、ギリシャ街、イタリア街、ポーランド街等々があちこちに散在し、どこにも旅行に出掛けなくてもその国の地の料理を食べられ雰囲気を満喫出来るのです。その内、随分早くからカナダに移民してきた、ロシア東欧特にウクライナの人々が、カーシャ(Kasha)と言って炒ったり、ふかしたりした蕎麦の実を牛乳や蜂蜜・バター等を入れて煮て作ったお粥を常食としていたり、独立運動さえあるケベック州では、フランス系住民が蕎麦クレープにして日常的に食べていたりするのです。ケベックシティーとモントリオールの丁度真ん中辺りのトロワリビエール(Trois Riviere)という小さな地方都市の少し南側に、ルイーズビル(Louiseville)と言う小さな町がありますが、何とここでは毎年「蕎麦ガレット祭」(La Festival de la Gallete de Sarrasin)が、10月の初旬に行われ、もう30回程も続いているそうです。主催者の発表では約10日間の期間中の人出は25万人にも上るとの事だったので、蕎麦屋の私が行った事無いのではしょうがないと、2年連続で行って来ましたが、行ったのが平日の午前中だった所為か、街は死んだようにヒッソリし、アトラクションも売店も全くありませんでした。でも、何とかガレットと言う蕎麦クレープを少し厚くした様なものに、焼きコンビーフの様な物と、黒蜜を付けながら賞味してみましたが、塩が強すぎ、焼きすぎでお世辞にも褒められたものではありませんでした。二年目に再度食べたら、今度は塩気も無く焦げてもいない、まともなものが食べられましたが、もう少し何か工夫すれば良いのにと言うのが、率直な感じでした。でもこの祭りのホストの「ソバ親爺」(Pere de Sarrasin)に色々の場所に案内して貰い、ガレットを焼く分厚い鉄のフライパンを購入し、オレゴン産ではありましたが蕎麦ビールも一緒に楽しく飲んだものでした。このそば祭りの話をマニトバのそば関係者に言って、「ソバの故郷」と自称しているマニトバが、ケベックの小さな町に遅れを取って恥ずかしくないのか?とマニトバソバ祭り開催を、大いに吹いて来ましたが、反応は余りはかばかしいものではありませんでした。何れにせよ蕎麦食いは、何も日本人だけの、お家芸ではないのです。
因みに、FAO(国連食料農業機関)に拠る全世界のソバ生産高の最近5年間平均は、272万K/Tであり、次のようになっています。

世界地図

順位 国名 2000年
2005年
2001年
2006年
2002年
2007年
2003年
2008年
2004年
2009年
5年平均
4年平均
第一位 中国 1,950,000
   
750,000
1,250,000
500,000
968,000
400,000
1,340,000
250,000
1,500,000

1,401,600K/T
475,000K/T
第二位 ロシア    997,600
   
605,640
574,360
865,243
302,480
1,004,433
525,350
924,110
580,000

   595,958K/T
849,857K/T
第三位 ウクライナ    480,600
   
274,700
388,000
229,200
209,000
217,400
311,000
240,600
430,000

   363,720K/T
240,475K/T
第四位 フランス      36,934
       
6,700
     
ブータン
58,872
9,353
ブータン
80,788
8,105
ブータン
101,729
8,105
ブータン
70,000


     69,665K/T
8,066K/T
ブータン
第五位 アメリカ      65,000
     
65,000
65,000
66,000
65,000
68,000
65,000
83,000
65,000

     65,000K/T
70,500K/T
第六位 ポーランド      73,384
     
72,096
58,661
54,161
40,042
84,236
44,068
68,726

59,050


     55,041K/T
69,805K/T
第七位 ブラジル      50,000
     
50,000
50,000
51,000
48,000
52,000
48,000
52,000
48,000

     48,800K/T
51,250K/T
第八位 カザフスタン      28,700
     
43,700
44,900
58,930
29,647
81,400
30,000
16,570
24,000

      31,449K/T
50,150K/T
第九位 日本    28,500
   
31,200
26,000
33,000
25,400
26,300
26,800
23,200
26,800      26,700K/T
27,750K/T
第十位 リトアニア      14,800
      
2,000
      チェコ
12,700
6,900
ラトビア
10,600
2,000
チェコ
14,700
2,000
チェコ
15,000


     13,560K/T
3,225K/T
第十一位 カナダ    13,600
    
 4,600
16,300
7,400
12,200
2,300
  9,900
2,300
10,000

     12,400K/T
4,150K/T
世界生産高 合計 3,778,735
1,905,636
2,586,338
1,881,187
1,817,064
1,946,174
2,552,119
1,430,011
2,856,090

 2,718,069K/T
1,850,228K/T

従来中国が世界の半分以上を生産し首位の座を守って来ましたが、いまやロシアが46%のトップシェアラーとなり、ウクライナ等東欧を入れると約63%を占め、この2地域で世界のほぼ9割を収穫しているのです。只、日本のように全てが食用として使われている訳ではなく、家畜飼料としても消費されていますが(葉や茎が柔らかく野菜として食べている所もあるのですが、これらを乾燥させたり未成熟な実などを飼料として使う事が多いようです。)、収穫が多い所は、それなりに生活に密着した食べ方文化を確立しているのです。又前半ロシアが不作で(作付け面積では一位中国の80万ヘクタールを凌ぐ106万ヘクタールになっていますが・・・。)主にアメリカから食料援助物資としてODA(政府開発援助)の対象になっていましたが、後半持ち直しています。唯2010年は酷い旱魃に遭い、中国やウクライナ等から大量の輸入が成されましたが、例年通り中国物の買付け契約をしていた日本各社は、ロシア並の高値緊急プライスを余分に払わねば契約数量を船積して貰えず、その契約をも無視した商業道徳の欠如に危機意識を抱いたとの事。
麺食いの日本はヤット第九位で世界の1%のみ、又カナダもベストテンから漏れて第十一位です。優秀なソバを作っている両国としては、もう少し頑張って貰いたいところです。(農業大国のフランスが、堂々の第四位でしたが、何故か後半はランキングから消えてしまいました。何故でしょうか? やや驚いたのが、冷麺で有名な韓国が、たったの2〜3千トン程度しか出来ていないんですね!でも良く考えてみると冷麺の本拠は北朝鮮の平壌であり、韓国の冷麺は沢山取れる小麦を繋ぎにした逆ニ八が主流と聞くのでそんなに沢山のソバは要らないのでしょうか。それに南半球からは唯一ブラジルが第七位にランクされていますが、かの地ではどうやって食べられているのか? 唯、中国の減産により、サプライソースの多角化を迫られる日本としては、ブラジルを輸入したいのですが品質等に問題があり、安定したソースとしてはマダマダ先の話である由。

ご覧の通り、日本の生産高は強含み安定と言う処ですが、カナダでは漸減傾向にあります、これは近年の異常気象、特に2003年の干ばつ(日照り)、2004年には冷夏冷害、遅霜、早霜と刈り取り時の長い大雨2010、2014年の大雨等異常気象に見舞われた為のもので、ソバのみならず大方の農産物が大被害を受けました。近年の環境破壊の故に異常気象が「異常」ではなくなり、集中豪雨や竜巻等の突発性異常気象の多発が恒常化しつつあるのが世界的傾向となって来ています。そう言う訳で、自家受粉、霜害耐久性や更に短期収穫の可能な品種、歩留まりや換金性の高い新品種のリリースが一刻も早く望まれておりましたが、2007年に二つの事件があり、研究分野も含め壊滅的状態になってしまい誠に残念な状態です。一刻も早い回復を願うばかりです。

中国が世界一の生産大国でしたが減り続け、2000年までは200万トン強あった収穫が、2006年には四分の一の50万トン、2008年以降には其の又半分の25万〜30万トンと激減し、更に2013年9.6万トン、2014年には8.5万トンと自国の需要を賄う事すら覚束ない数量に大激減し、価格高騰を招いています。かっては全世界の半分以上を生産していましたが、豆など(2014年は高市況のアワやキビへの転作が相次ぎ作付面積は一挙に46%も減少)ハイリターンの作物への転作で減産とか干ばつ等の悪気象条件が原因として説明されていますが、中国自体が食糧の純輸入国であり、2004年には世界一の小麦輸入国となり、大豆の輸入は日本の5倍近くの2,200万トンも輸入する他、他の農産物の輸入も加速中です。国の食糧安全保障(Food Security=National Security)の観点から、基本的にソバも含めた食糧を輸出出来る立場では無いこと、及び食糧増産の為の過剰揚水による地下水位の低下(華北平原では、平均地下水位が年間3mもの低下が見られ、一部地域では6mもの低下が観測された)や断流、過剰耕起による表層土の喪失や過剰放牧等による砂漠の拡大東進(北西部では流砂の為25,000もの村が放棄され過疎化し都会への流民を生んでいる。尚中国では全穀物生産の8割を灌漑に頼っているが、その効率は2000年で43%と悪く水不足が深刻化している)、それにも増して農村の安定と発展が中国全体の安定と発展の前提だとの政府スローガンは、只の口先のリップサービスであり、実は農業は恥じだとする賤農主義(農を賤とする意識、言説、制度、政策は、本来行政等農民の外部の意識であったが、今では農民自らが農は賤しく恥だとの意識を持つに至っていると。)による農村・農民への過度の公課等で農業放棄と農村消滅を加速し、農民の都市難民化させる逼農主義政策よる農地の減少・転用等が現在及び将来の食糧大減産の原因となっており、これら基本的障害と危機の克服は絶望的であるとの説もある(「中国農業の現実」南京大学教授 張玉林)、今後とも良くてこの減少傾向が続くか、悪ければ食糧の輸出禁止措置が取られかねず、「中国物は安いし、しかもオーダー出せば2週間で届くから在庫の必要無し」と全面的に中国を頼り続ける事が如何に危険であるかを良く考えた上対策を取って置く必要があるだろう。又2010年ロシアの大旱魃、北米の長雨による供給能力が激減した時、長年大量に買い付けて来た日本の既契積み船積みすら、ロシアの高値買付けとの差額の追加支払い無には履行出来ぬとゴネ、その契約概念の無さ或は商業道徳の欠如を思い知らされた事を忘れる事は出来ぬはず。

★アメリカ産のソバ 
FAO発表の収穫高は、上記表の様に大体年間6.5万〜7.5万トンと言う事になっているが、5年毎に行われる農務省USDA の農業センサス2007年版によると、米国では337軒の農家が24,760エーカーの作付をし711,173ブッシェル(約15,800トン)のソバを収穫しているとなっているので、これでは日本に全量輸出して終わりになり国内需要に向ける玉が無いという妙な事になってしまいます。
きっとどこかに小さく注意書き等があるのかも知れませんが、まあ役所の仕事だから当てにしない方が良いでしょう。それにしてもFAOよりは信頼できるとは思っていたのですが…?!でも別のソースの情報にワシントン州とその周辺州で1万トン強の収穫があり、全米生産の6割を占め、その全量が日本に輸出されているとの話もあり、それから考えても全米生産高はFAOレポートの様に多くは無い筈だから、農務省等アメリカ情報が当たらずとも遠からずと言った処でしょう)
ニューヨーク州が一番農家数が多く83軒、一軒当たり平均13トンと零細農家が多く1,080トン、ペンシルバニア州が71軒でニューヨーク州同様平均13トンで940トン、ノースダコタ州は61軒80トン/軒で4,850トンで全米2位、ワシントン州は農家数は24軒と少ないものの収穫は約7千トンと全米一位となっており、残りは、ミネソタ、南ダコタ、ミシガン、オレゴン、オハイオ、イリノイ、メリーランド、北カロライナ、西バージニア、ウイスコンシン等の各州が栽培しているそうです。
短期間で収穫出来るため、ダブルクロップ(二毛作)をして固定費用は本命に負担させ、変動費のみをソバが負担するので、7〜10ブッシェル/エーカーさえ出来れば全コストを賄えるので、通常の20ブッシェル以上程度の収穫が出来ればその差額は全くの純利益となり、おまけに土壌の改良にも資し、全くソバ様々との由。又全米をカバーする農協(Co‐operatives)を使ってCropをPoolしたスケールメリットで売り条件の改善に努めると共に、運賃の節約を図っており、従って農協レシービングハウスの近所に畑が集中している由。ソバ輸出の95%以上が日本向けであり、ほぼ全量が契約栽培である。
★問題を抱えているワシントン州
アメリカのソバの6割を産出する全米一のソバ産地ですが、その他カリフォルニアに次ぐ第二番手のワイン生産地であり、全米第三位の食品/農水産物の輸出州で、果物、野菜、乳製品や海産物などを輸出して153億jを稼ぎ(農水産物全体で510億jの売上)出していますが、半世紀以上にわたる核廃棄物汚染で川も大気も土壌も汚染されており、そのクリーンアップは遅々として捗っておりません。2014年に発表されたエネルギー省USDEリポートによれば、2013年のワインサンプルからトリチウム(Radioisotope Tritium)やストロンチウム90(Strontium-90)が検出された由。トリチウムは放射性物質のなかでは一番危険性の少ないものだからあまり問題なかろうと言う態度だそうだが、ストロンチウム90はビキニの水爆実験で死の灰を浴びた第五福竜丸事件で有名になった半減期が長く、骨髄に取り込まれ内部被ばくで骨腫瘍、癌等の原因となる放射性物質である。

その上Hanford Siteと言う廃棄施設は、名うての野火Wildfire地帯であると共に地震地帯にあり、1936年にはリヒタースケール6.1の地震に見舞われている事と、Siteの上流にはダムが二つあり、その一つ30マイル上流のダムの正面には2”x65’の長さのヒビ割れが2014年に発見され、自然災害に加え人口災害も危惧されている。又シアトルの南80qにあるワシントン州の最高峰レーニエ山(4,392m、アメリカで最も危険な火山と言われている)のあるカスケード山脈が雨や雪をブロックし全て西側に降らすので西側は鬱蒼とした森林地帯になっていますが、その東側は亜乾燥ステップと砂漠の広がる乾燥地帯となっています。乾燥農法の為大規模砂塵嵐が多数発生しており、2009年10月4日のものは未だ記憶に新しいとの事(「ワシントン州の経済における気候変動の影響」と言うワシントン大学の論文もあります)。ワシントン州州議会議員Gerry Pollet等も、コロンビア川の汚染拡大や地震等の災害があれば一気に福島原発を遥かに凌ぐ Super Sized Version of Radiation(超大型放射能汚染)が起こる危険性が大きいと危惧し、遅れに遅れている政府対策を求め政府を法廷に引き出す事となった。
ソバは、東南部の乾燥地帯に灌漑施設を設けて栽培され、その主要な水源はコロンビア川、ヤキマ川とスネーク・リバー水系であり全灌漑用水の75%を賄っており、Tri-Citiesにてヤキマとスネーク川がコロンビア川に合流しポートランドで太平洋に流れ込みます。後の25%は地下水の汲み上げによるもの。灌漑が無ければ農業や酪農が成り立たない地域であるため灌漑面積は180万エーカーにも及び、その80%がスプリンクラーによる散水、15%が地表高低差利用の配水、残り5%が労働集約的だが蒸発ロスを低減出来るドリップ式の点滴灌漑となっている。1トンの穀物を収穫する為には千トンの水を必要とするので、世界的に灌漑用水の利用効率化が課題になっており、世界で最も効率的な日本、台湾やイスラエルでも50−60%であり半分近くが蒸発等で失われている。利用効率の高いイスラエルでは主要な二つの地下水層が枯渇しつつあり、小麦の灌漑を禁止している。世界最古の文明の一つであるメソポタミア文明は、土壌の塩化と言う灌漑農業の失敗から滅亡した事を忘れてはならないのです。
上記の様にカンカン照りが続く乾燥地帯でソバ等が栽培されているのですが、その品質に付いては一長一短がある由。水は灌漑で確保され、何時も燦々と太陽は照り付け、夜は砂漠の様にヒンヤリと冷え込むので、何時でも均質のソバが安定して栽培されるので、Buyersは安心して買い付ける事が出来るのですが、年初に購入契約(契約栽培)をしたうえで全体の栽培プランが作成され、フリーな自主栽培が皆無である為、他地域の出来高等による急な市況の変動には対応出来ない事と、余りに恵まれ過ぎた環境での生育で風味が平坦でパンチに欠ける、何処かのエエトコのボンボンみたいに苦労知らずでイマイチ食い足りないとの事。(私は食べた事が無いので、これは伝聞情報ですが…。)

問題の核廃棄物汚染の簡単な歴史と現状を見てみましょう。
マンハッタン計画をご存知の方もあるかと思います。第二次大戦中ドイツより先に原爆を開発しようと焦った米国がイギリス、カナダの協力を得てスタートした極秘プロジェクトです。このプロジェクトの為に電力が豊富で人口の少ない州東南部コロンビア川の河畔リッチランドの少し北にHanford Engineer Works Nuclear Energy Plant(HEW)が1943年にプルトニウム精製型の原爆製造の為造られ、長崎に落とされたファットマンはここで製造されたものですが、これが今のHanford Siteです(SiteWと言うコードネームが与えられ地元は勿論研究者間でも見ざる聞かざる言わざるの極秘を守って来ました)。冷戦時代を通じ多くの核兵器の製造所として機能して、昔は9基あった原子炉も1988年にプルトニウム製造の軍用施設運転を止めて以来今は商業用で一基が稼働しているだけとなりました(1,150メガワットのコロンビア原発は、エナジー・ノースウエストが運営しワシントン州の電力の約10%、約100万世帯分の電力を供給しており、現在2043年までの稼動許可が与えられている)が、現在でも米国最大の核廃棄物貯蓄場となっています。
プロジェクトを極秘にして情報の漏洩を防いでも、周辺住民、動植物への影響は深刻であり病気の多発や癌、出産異常による様々な傷害に悩んでいた人々が情報開示を求めて法的手段に訴える事により、漸く米国エネルギー省USDEが19,000ページに亘る膨大な資料の公開に応じたのが、工場が稼働を始めてから40数年後の1986年2月27日でした。それから地元自治体や関係者の資料読みこなしの作業が始まり、放射性物質の大気への意図的放出実験や事故等も含め放射性アイソトープが日常的に放出されて来ており、この時点までで少なくとも2億キューリー以上も放出されていたことが判ったのです。知らぬ事を良いことに半世紀近くも垂れ流しを続けて来ている事も大問題ですが、意図的な大気への放出実験があったなど言語道断。風向きによって放射能の拡散方向が異なるのですが、何時も風下が被害を蒙るので、被害者をダウンウインダーズDownwindersと呼ぶようになりました。勿論原子炉冷却にはコロンビア川の水を利用して其のまま川に垂れ流していましたから、下流のワシントンやオレゴン州の沿海部までの生態系や地下水を汚染し続けて来たのです。ダウンリバーズDownriversと言う言葉もあります。2000人のDownwinders を含め4000人以上の被害者から補償を求める訴訟が提起されているが、何の進展も未だ無いとの事。(原告は全て自費で賄わざるを得ないので長期に亘る法廷闘争は困難であるが、被告は全て税金でカバーされているので、長引くほど有利になる仕組み)
現在177基の地下タンクに56百万ガロン(21.2万キロリットルだから1タンク当たり1,200トンを貯蔵している)の高放射性廃棄物が貯められており、米国で最も深刻な核廃棄物問題を抱えている。地下廃棄物タンクに含まれた放射線量は、チェルノブイリ事故を上回り、福島第一原発事故の数百倍になる由。その内149基は鉄製一重タンクであり、過去67基のタンクから漏れが見つかっており、少なくとも3,780〜5,670klが漏れ出たとされているので、2005年にエネルギー省が149基の大半を鉄製二重構造タンク(これも既に40年の設計寿命が切れつつある代物で、廃棄物から生じるガスで水素爆発の可能性が懸念されている)に移し替え、これで漏れの可能性は全て封じ込めたと主張して来たが、2013年2月に6基のタンクから毎年数ガロンから数百ガロンの漏れがある事が確認された。この漏れを発表した知事は、記者会見で実際にどこへ流出したか判らないが、タンクと地下水脈とは41〜61mの乾燥土で隔てられているし、コロンビア川までは8qもあるので、川に到達するまでには何年も掛るから、直ちに健康被害は無かろうと説明した。地元の監視NPOのHanford Challengeによると、今までに1.5万〜2.0万トンの高濃度汚染水が漏れ出し地下水層迄達し、水を、空気を、土壌を汚し、川にも流れたが、これまで400億ドル以上の除染費を投入し、現在も毎年20億ドルもの対策予算が組まれているのに、未だ一滴の浄化処理も出来ていないと言っている。政府は、汚染水が既にコロンビア川に入っている事を認めており、年間10万ポンドの汚染が地下水から除去されていると言っているが、それでもStrontium-90(ストロンチウム−90)等が飲料水安全基準の1000倍ものレベルで川に流れ込んでいるとの事。滔々と流れる北米第4位の大河コロンビア川の勢いが汚染物質を押し流し浄化されているとの説明!時間との競争Time Raceの様なもので、取り返しの付かぬ事態になる前に真面目に対策する事が必要不可欠である。この放射線汚染で家畜や魚は汚染され、食物連鎖の頂点にいる人間はその肉や魚を食べ、ミルクを飲み、農作物を食べており、Downwinders以外、近隣諸州のみならず、それらを輸入している外国も含めると、他にもどれだけの人々がその影響を受けているのか計り知れないものがある。

きちんと対応しなければ水素爆発で州ごと吹き飛ぶ可能性すらあるらしい危険この上ない施設の浄化対策にもっと抜本的で誠意ある対策を切に望む次第です。福島第一原発による汚染よりも遥かに深刻な汚染が現在も進行中ですが、福島は今でも風評被害に悩まされているのに、当地のソバ等の農作物、食品等には非汚染の証明書すら求めず、何の躊躇いも無く購入する不思議さはどうしたものでしょう?知らぬが仏で食べて死んで仏に…では、死んでも仏に成仏できません。

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(5)カナダの街で

トロントのCNタワー
では、寿司と並んで日本人の大好きな蕎麦切りは、そんなに蕎麦に恵まれているカナダだから、余程美味しいものが食べられるのでしょうね?と聞かれると、むっむっむっ〜ぅ!となってしまうのです。何と、蕎麦屋がないのです。(もしカナダでお蕎麦屋さんをやっている人が居たなら、御免なさい。)私が言っている蕎麦屋とは、インスタント麺とか乾麺を湯掻いて市販の麺汁で出しているレベルの蕎麦屋の事ではありません。蕎麦のほんのり香り立つシコシコした三たての「ざる蕎麦」の事を言っているのです。しかも折角のカナダですから、カナダの大自然に育まれたカナダの玄ソバを使ってみたいと思いますねぇ、麺食いとしては。まあ外国では、このツルッとススリ込む音が日本人には粋に聞こえても、その他大方の人々の耳には無作法でオゾマシク聞こえるらしいのですが…。親日的なカナダ人が、粋で正しい江戸風の食べ方を真似てズゥズゥ〜ッと手繰り込もうとしても、技術的にか物理的にか知りませんが出来ない人の方が多数派である事も発見しました。物心つく頃から、「音を立てて食べるのは下品です!」と教え込まれて育った人々ですから潜在意識下にしっかりプリントされていて、一寸やそっとの決意でそれを覆すなどとはもう至難の技なのです。でもそれが文化と言うものだから、止むを得ない事なのでしょう。でも、何でも型にハマラズ、自由に食べる処からも、新しい文化が生まれる訳ですから、柔軟な対応が必要です。何れにせよ麺食いの私としては、この状況に一石を投じたく、カナダでカナダのソバを使った真面目で本格的な蕎麦屋をやろうと無謀にも?企てたのですが、そんなにリキマナイ美味しい蕎麦を出し、文化の交流と人々の健康増進に一役買いたいと思っています。いや失礼、またまたリキンでしまいました。営業を始めてから早まる10年以上が経ちました。最初は、殆ど日本の方ばかりでしたが、今ではカナダ人のリピート客も少しずつですが増えて、日本の方は少数派になってしまいました。そば打ちも少しずつですが広がって来ています。カナダのテレビで紹介されたり、新聞・雑誌やWebsites等にも紹介され、知る人ぞ知る凝った店として知られるようになりました。今後は更に大きな場が広がる事を願っております。何れにせよ「これが蕎麦なんだ!香りが良くって、今まで蕎麦と思っていたものと全く違い、とても美味しい!」と喜んで頂けるのが励みとなり、毎日が楽しいのですが、入って来てお寿司は無いと聞くと帰ってしまう人も多く、蕎麦が寿司の様に市民権を得られるまでには、マダマダ気が遠くなる程の時間と努力が必要なのだと感じさせられる事もあります。小生は、「蕎麦の伝道師」と自分を紹介するので矢張り多くの人に理解して貰い、喜んで貰うのが一番。お金で生き甲斐は買えませんから・・・。

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